はるな生活協同組合について

はるな生協の歴史

1950年、高崎市あら町の坂本肉店の2階の一室を借り、資料活動を開始。
その後、在日朝鮮人連盟事務所の一室を借り「高崎民主診療所」を開設。
1953年、現在の通町診療所に有床診療所として新築移転しました。

1953年、妙義基地反対闘争。朝鮮戦争の時、アメリカは朝鮮山岳地帯に良く似た「松井田町・恩賀」を演習地の候補にしていました。恩賀の住民を先頭に沢山の人が参加し、アメリカ軍を撤退させました。私たちは医療班として参加しました。

1958年ポリオ・ワクチン輸入運動。 1950年代の終わりから60年代の初めにかけて日本各地でポリオ(小児マヒ)が大流行しました。当時のソ連にあった生ワクチンが予防・根絶に有効でしたが、国は「ソ連のワクチンは信用できない」と輸入を認めませんでした。怒った母親達が、大運動を起こして輸入を実現し日本は危機を脱します。

安中公害、1937年「安中製錬所」が創業開始と同時に始まりました。
高崎中央病院として1968年10月に住民検診を実施しました。
1969年に髙柳先生が、参議院公害対策特別委員会で意見陳述を行いました。

1976年、第1回保健講座(現在の保健学校)が開催されました。

1978年、はるな生協創立25周年記念大集会を群馬音楽センターで開催しました。
今は亡き、歌手の「淡谷のり子」さんをお招きして1000人の参加者で大成功でした。

1982年、第30回通常総代会で「新病院建設計画」の概要を提起し、1984年2月「新病院建設組合員大集会」を実施しました。500人の参加でした。同年9月より工事が着工しました。

1985年6月に竣工し、当時まわりはほとんど田んぼでした。通町から高関町へ、病床数は50床から119床へと大きく展開しました。

1986年、第1回社保学校が開催されました。

「群馬の4つの医療生協に歯科診療所の開設を」この方針に基づき、2番目の歯科診療所を1989年9月に開設し、現在の「組合員ふれあい会館」に7つのユニット(診療台)から始めました。

新病院建設運動のため、しばらく休止していた「健康まつり」を改めて、1989年第1回病院まつりを病院・駐車場で開催しました。2000人の参加者で大成功でした。

病院移転から10年間、旧病院の1階フロアーのみの使用で診療所を運営してきましたが、1995年6月1日新しく「通町診療所」がオープンしました。

無収入であった時から実践してきた「訪問看護」。ようやく請求できるようになり、1996年7月「中居訪問看護ステーション」を開設しました。

2000年リニューアル完成した高崎中央病院。
第四次医療法の改正に伴い、「中長期計画」を策定し、築13年の中病院リニューアルを決定しました。

2004年4月18日にはるな生協50周年記念で1万人健康まつりが高崎市もてなし広場他、各会場にて開催されました。この時は18000人が楽しみました。

在宅総合福祉センター「ほほえみ」です。2004年に完成しました。1階にデイサービス、2階に居宅介護支援事業所・訪問看護ステーション、ヘルパーステーションレインボーの事業所が入りました。

中央公民館前の藤棚の下での反貧困活動の炊き出しの写真です。毎月2回実施しており、労使会館での相談会は毎月1回実施しています。2009年からこの活動に取り組んでいます。

2010年に完成した歯科診療所と生協本部です。
1階歯科診療所、2階が本部になります。

2010年に完成した組合員ふれあい会館です。
組合員が班会など気軽に利用できる共有スペースとして設けられました。2階は主に学習会などで使用しています。